西加奈子にファンレターを手渡しした話
人生で初めてファンレターというものを書いた。あまり緊張とかしない方なのだけれど、本人を前にし「お手紙を書きました」と手渡しする際、手が震え自分で自分にびっくりした。西加奈子氏はとても喜んでくれた様子で、向こうから両手を差し出し握手までしてくれた。なんだか私は、ものすごく感動した。
私はいつも本から多くのものを受け取っている。それは即ち「本」という容れ物に「何か」を(物語とか絶望とか哲学とか提案とか挑戦とか励ましとかを)落とし込んで世に放っている作家から多くのものを受け取っているということだ。本を読む前と後では、私という人間は少し違う。作家から受け取った何かは心の中で静かに蓄積されていって、それは私自身に大なり小なり変化をもたらす。
このとおり、読書という行為は作家と読者のやり取りで成り立っていると思う。ただし、そのやり取りは大抵、私という一読者の脳内にて、私の想像上の作家相手に行われる。
具体的に紹介すると、私はいつも本を読みながら気に入ったページをドッグイヤーしたり、マージンにメモを書き込んだり、時には納得できない記述に対して「どないやねん」と口に出してツッコんだりする。さらに白状すると、本を一冊読むごとに書いている読書ログでは、「期待を裏切らない津村紀久子」「まだ読んでいない春樹に出会える幸せ」等、作家名を敬称略で挙げつつ大変馴れ馴れしい感想コメントをしたためている。
そんなノリで、私にとって作家はイマジナリーフレンドみたいなものだ。本人は確かにこの世のどこかに実在していて、鍋に沈めたお玉の中で味噌をかき混ぜたり近所のミニシアターで子どもの頃に見た映画のリバイバル上映を鑑賞したりしているのだろうが、その人間本体と私がリアルに対面することはまずない。
まずない、のだが、今回、西加奈子氏の「さくら」英訳版(Sakura)の出版記念イベントに足を運び、ご本人と対面してどぎまぎした、というオチだ。イベント情報をシェアしてくれたうえに、人生初のファンレターを渡す瞬間を首尾よく写真に収めてくれた友人に感謝。
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最後に、せっかくなので、「さくら」の中で好きだった文章(ドッグイヤーした箇所)をここに記録する。
◯その夜、僕は眠れなかった。二段ベッドの下で、僕の隣りでは泣きつかれたミキが寝息を立てていた。上にいるはずの兄ちゃんはいなくて、その布団は冷え冷えとしている。サクラが犬小屋でまた
「ぐふうっ。」
とため息をついているはずで僕はそのとき、大人になるということについて、真剣に考えていた。
大人になるというのは、一人で眠ることじゃなくて、眠れない夜を過ごすことなんだ。(文庫版 p149-150)
◯取り残された僕は、まるっきり阿呆のように立ち尽くしていた。青いダウンパーカーは、よく見ると袖のところが黒く汚れていてみすぼらしかったし、自分で切った前髪は不揃いで僕の目を何度もつついた。何より背を曲げて立つ自分の影は、学年で一番高い体のはずなのに、小さく小さく見えた。僕はまったく、小さい男だった。(p180-181)
◯僕らの幸せは、母さんの高らかな歌声、サッカーボールを蹴る兄ちゃんの逞しい脚、そういう燦々と降り注ぐ夏の太陽みたいな暖かさではなくて、父さんが静かにチェス盤に駒を置くことりという音、本から顔を上げた父さんが眼鏡を拭くきゅっきゅっという音、そんな秋口の遠慮がちな太陽みたいなそれに、圧倒的に頼っていたのだった。(p記録し忘れた)